「佐藤式気功に出会って」 北信総合病院整形外科医師 栗林秀樹さん

kuribayashi

生命の連続性を思う

何年も病院勤務をしていると、人の死に寄り添うことがしばしばあって、そのたびに思うことがあります。人の生とは何とはかないものなのかと。多くの人はその最期を迎えるまでの人生で、絶えず努力し、互いに切磋琢磨し、多くのものをその記憶に蓄積してきたに違いないのです。なのに、それらの個々の人生の結晶は、そのままその人の死とともに霧散していってしまうのでしょうか。

昔から民間信仰、既成宗教の世界では、たましいの永続性は当然のごとく語られてきました。今日も神社・仏閣でそれを既成の事実として、祈りを捧げている姿に出会います。

しかし多くの人は、神・仏の前で手を合わせつつ、人は死んでしまえばあとには何も残らないのが現象世界だと思っているのではないでしょうか。そしてこのような死生観が、現代の殺伐とした社会風潮の底にあるのではないかと思うのです。
そこに投影されているのは老化や死への恐れと忌避であり、それがまた現代人を「完全健康症候群」へと駆り立てているようです。健康でないことは悪だとして、それを排除するという考え方に立っている限り、人はいつまでたっても老化や死というものと向き合うことができず、そこに意味を見出すチャンスも失うのではないでしょうか。

良寛は、「死ぬ時節には死ぬがよく候」と言っていますが、生も死もこの現象界にあってはごく自然の営みです。私自身、医者とか患者とかの分け隔て以前に、一人の人間として、その営みに虚心に身をまかせられる自分でありたいと常々思っています。
と同時に、もし永遠に続くいのちがあり、そのいのちはこの肉体に必ずしも束縛されないものだとしたら、そして現代人の多くがその事を自らの体験をもって認識することができたらと思わずにはいられません。そうなれば、現代社会に生きる我々はもっと素直に、穏やかに、安らぎと自信をもって生活できるのではないでしょうか。そんなことをここ何時か考えていました。

長年、私は和漢診療学やチベット医学を学びながら、生死の問題をみつめる確かな視座を模索してきました。現象世界の裏にある目に見えない世界、それを気づかせてくれる何かを知りたいという思いもあります。

そんなことから、気功の世界に何かヒントはないかとネットサーフィンをしていた時、偶然佐藤式気功のホームページに出会ったのです。

誰もが安心して受けられる気功療法

そこには、――気功を用いて体外離脱が可能――と書いてありました。1日体験コースがあるというので、一抹の不安を覚えつつ予約の電話を入れてみました。奥さんらしい女の方が電話の応対をしてくださり、誠実で穏和な対応に、こちらの不安も吹き飛びました。

気功センターは商店街から引っ込んだ住宅街の一角にありました。緑の生い茂る前庭の角の門扉に、「佐藤気功センター」と小さな札が申し訳なさそうに下げてありました。

プロフィール

栗林秀樹
北信総合病院 整形外科非常勤
1982年 新潟大学医学部大学院卒業

「幸運を呼び込む スピリチュアル気功」より引用 佐藤眞志著 ハート出版