佐藤式気功とめぐり会って
K・Mさん73歳 男性 元業界誌の編集長からのメッセージ
「スピリチュアル」という言葉に馴染み始めたのは、二年ほど前だったでしょうか。『シルバー・バーチの霊訓』という本を手にした時からです。
今年3月初めに、その周辺の知識をネット上で検索していたところ、『スピリチュアル気功』(佐藤式気功)の本をさぐりあて、早速購入しました。
一読、「これはほんものかもしれない」と感じ、早速電話で「対面式」をお願いしたところ、電話口に出られた女性が「9月になるまで空きはありません」といわれました。不思議なことに電話口の女性の包み込むような優しい声から、これは佐藤眞志先生の奥様に違いないと思ったものです。(これは当たっていました)
「そんなに混んでいるなら仕方がない。焦らず秋まで待とう」と心に決めていました。しかし4月上旬になって「キャンセルが出ました」というお電話を頂き、4月29日、喜び勇んで参上しました。
佐藤眞志先生は、想像していた通りの温和な方でした。約5、6分ほどのお話のあと、早速、第1回目の対面気功が行われました。
本に書かれていた体験者の手記にあるように、先生の手が私のわき腹に少し触れているだけで、腹部全体がふんわりと温かくなったのです。その温かさはやがて大腿部に、膝に、脛に、足首にと下に降り、下半身全体が目に見えにない真綿でくるまれたように感じられました。
「私の手は決して熱くないでしょう」といって、先生は掌を私の手の甲に当ててくれました。なるほど、先生の掌の温度は、私の手よりもむしろ低く感じました。「これが気というものか。羽化登仙とはこんな気分だろうか。母親の胎内に浮かんでいる胎児は、こんな気分なのかもしれない。それにしても何と不思議な感触か」と感じたものです。そして「どうやらこれは本物だ」と嬉しくなりました。さらに不思議なことに、肩が軽くなり、頭も冴え、先生との会話も続けられました。
収縮気、拡大気という言葉の意味は理解できませんでしたが、「これは本気で取り組むだけの値打ちがある。よいものに巡り会えた」と確信した次第です。
この世に生を受けて70数年、この年になれば人間も古狸の部類です。世の中のからくりも、人間の正体もさまざま見て参りました。そう簡単に人に騙されるほどお人好しではありません。
その私が、晩年になってシルバー・バーチの本を手にして心打たれ、その延長線上で佐藤式気功に出会うことができました。それは単なる健康法にとどまらず、「人間とは何か」「サムシングレート」という大テーマにつながるものがある、と予感しています。気功によって得られる充足感、至福感は、現今の社会に生きる人々に最も欠落しているものかもしれません。あと何年生きられるかわかりませんが、さらに深い理解と確信を持つべく精進し、人様のために少しでもお役に立ちたいと考えています。
1950年に肺結核で倒れ、約六年間の療養生活を送りました。それ以降も何回か入退院を繰り返し、肺活量は健常者の三分の一ほどで、階段を上るのは苦手です。
石川啄木が「凩(こがらし)よりも淋しきその音」と表現したように、冬場に冷たい空気を吸うと、気管に違和感を覚え、ヒューヒユーと淋しい音がします。しかし、それをマイナスととらえるのでなく、そうした欠陥があるからこそ、佐藤式気功にめぐりあえたのだと考えるようにしています。
佐藤式気功に触れてまだ1ヵ月足らず。「気の重心」ということもまだ実感できません。若い人ほどにめざましい熟達は望めないでしょうが、焦らず、点滴の石を穿つが如くに精進を重ね、晩年の一日一日を実りあるものにしていくつもりです。